第2回大会は、1985年9月7日〜8日に開催しました。 第1回開催の春(5月)から秋に変更したのは、翌1985年に福岡県飯塚市で 「飯塚国際車いすテニス大会」 が開催されるとの情報を得て、同じ時期の開催は、各地域から参加する選手に費用面や体力面に負担がかかることを避けようとの考えで決定しました。 国内で開催する車椅子テニス大会として後発の飯塚市の大会ですが、国際車椅子テニス連盟の年間スケジュールから決定されたとのことで、日程調整がむずかしい状況にあったものと思われます。
※当時の大会プログラムが僅かに保管してありました。 日本ハンディキャップテニス大会プログラム等と共に、国立国会図書館に納本しています。
第1回大会プログラムは、資金の関係で製本されていないため、納本しておりません。 海外の特定方面と国内数方面にはその他資料を加えて寄贈しています。 |
初の車椅子テニス競技大会の企画には、先に紹介のワインカップテニストーナメント大会運営の5年間(12回実施)の経験を活かしました。 全国対象の大会としての基盤を築く上で、可能な限りに良き大会にするために、当日の天候が予測できないことから、日本テニス協会の普及委員長・近岡義一郎氏に協力を求めて、協会保有の国際大会などでも使用されていた室内特設用のネットセットを借用しました。
地方から参加される選手もおりますので、雨天で競技が中止にならないようにとの考えによるものでしたが、第1回大会は天候に恵まれ、室内用ネットセットは競技に使用せずに大会は無事完了しました。 当時、こうしたネットセットの設置には専門の力が必要で、シミズ舞台工芸スポーツ(株)の関係者には大変お世話になりました。
30年近く前の大会企画ですが、改めて他の関係方面を含めまして、多くのボランティア各位には心から感謝申し上げます。 |
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第1回、2回、3回 ・・ と継続する中で、参加選手の技術は次第に向上し、随所に見事なプレーを展開するようになりました。 しかし、当時の参加選手が使用した車椅子はスポーツタイプではあっても、最新のテニス競技用車椅子とは違い、コート上の操作力や動きのレベルは高くありません。
人それぞれに体力や身体機能に合わせて、車輪のキャンバー角度などを調節した車椅子は 回転性能と安定性に優れていますが、オーダーメイドで発注する競技専用のものは、通常の車椅子と比べて高価でした。 そのため保有できる人達が少ない点は、近年も資金少ない人達は同じ状況に置かれているかと思います。
競技レース用の自動車や二輪車にも見られるように、使用する車の性能は運転技術と合わせて勝敗や順位の面で影響します。
誰でも高価な車椅子を購入出来るわけではありません。 しかし、高いレベルの競技テニスを目指すためには、高性能の車椅子は必要です。
国内車椅子テニスの環境づくりに向けて一定の役割を担った上で、車椅子テニス関係団体とは別に、車椅子テニスのみにこだわらない様々な障害の内容に対応したハンディキャップテニスの普及発展に多くの取り組みを進めたNPO事業です。
近年、車椅子テニスには メダリストが生まれましたが、車椅子テニスに加えて 多くの人達が体力や運動センス、障害の有無などにこだわらずに、誰でもふれあうことの出来るテニス環境づくりを目指した目標は、残念ながら実現されていないのが実情です。
優れたアスリートを輩出する取り組みはスポーツ振興には必要ですが、スポーツは、数人のスタープレイヤーを生むことではなく、誰でも楽しめる内容を有するスポーツです。 スポーツの基本は、子供達の遊びから生まれたといっても過言ではありません。
むずかしいルールを設けて参加する人達を制約するのは、スポーツが誕生した本来の成り立ちを忘れた人達や 知らない人達の行動と歴史によるものです。
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